冬の蜃気楼

宿の部屋からは、誰もいない漁港と、かなり沖まで伸びた長い防波堤、そしてその突端に立つ純白の燈台が見えていた。
 
海は荒れ、冬の黒さで大きくうねり、猛り立つ波が破壊的な力で、コンクリートを打ち続けている。見つめていると、黒い海の中であの

燈台の白さだけが輝いて見え、やがてその華奢でか細い肢体が、何かにじっと耐えて立つ少女像のようにも見えてくる。あの燈台に

は、そんな詩情がある・・・。
 
私が冬の北陸を旅しようと思ったのは、人伝えに聞いた「冬の蜃気楼」を見てみたいと思ってのことだった。もちろん、私がこの宿に逗

留していた間、それは出現してくれず、ただぼんやり海を見て過ごしただけに終始した。無理もない。この土地の人ですら、冬の蜃気楼

はおろか夏のそれをも、まだ一度も見たことのない人の方が多いほどなのだ。こんな小旅行で、もの珍しい冬の蜃気楼にめぐり合える

などという幸運が、そうそうあるものではない。
 
外は吹雪いてきたようだ。帰り支度をして私は廊下に出た。
 
と、長い廊下の途中、客なのか宿の人なのか、窓を向いてポツンと立っている女性がいた。何をみているのだろう。外は吹雪と冬の海

が騒いでいるばかりだ。

 「何が見えるんですか?」

私が声を掛けると、彼女は相変わらず窓の外に眼を向けたまま、
 
「迷児のほたるいかです・・・」

と応えてくれた。 

彼女が話してくれたところによれば、ほたるいかは春や初夏に限らず、真冬でも富山湾内に棲んでいるのだそうだ。ただしその数は僅

かで、春先のように海岸近くまで浮遊してくるといったこともないらしい。そして、彼女は冬でもいる少数のほたるいかを、「迷児」だと信

じているのだった。
 
こんな話を聞かされ、私はもう一度、彼女の視線を辿りながら、相変わらず吹雪いている海の方を見た。
 
「見えましたよ」私がつぶやく。

 「・・・・・・?」彼女は私を振り向く。

私は微笑しながら、ゆっくりと応えてあげた。
 
「冬の蜃気楼。ほら、あの純白の・・・」

投稿者 ほたるいかの水井2006年5月1日 12:54