<< 白エビ漁師 | メイン | 富山県黒部市に魚の駅「生地」登場!!  >>

ブリ起こし

 

 駅に着いた時には、すでに暗くなってしまっていた。真っ直ぐ港に続く道が伸びていた。歩きたくなったことに特別な理由などない。私は、ゆっくり、ゆっくり、歩いていた。その時だった。魂まで揺るがすような爆音が私を直撃したのは・・・。天地が割れるような、そんな巨大な音だった。私は、ほとんど放心したようになり、宿への道を曲がるのも忘れ、防波堤まで来てしまっていた。

     あれがブリ起こしか---

 ブリ起こし---私がこの言葉を知ったのは何年前だったろう。

 普通、冬の日本海側では北西の風が吹く。ところが富山湾沿岸では、陸地からの南風である場合が多い。この特別な気象状態が、とてつもない雷鳴を伴う暴風雨、あるいは吹雪やアラレを生む。そして、この土地では古くから、こうした冬の雷を「ブリ起こし」と呼んでいた。

 昔の越中人は雷鳴のあまりの凄さにブリが驚いて富山湾に押し寄せてくる、思っていたらしく、それが雷の呼び名になって残ったのだろう。

 冬、ブリ起こしが来るほどの悪天候になると、当然、日本海(外洋)は荒れ狂う。それで上層魚が湾内に逃げ込んでくる。ぶりは、エサトなとなるその上層魚を追って湾内に入って来るのだ。

 ブリ王国の富山では、娘が嫁いだ年暮れに実家から嫁ぎ先にブリを贈るという風習や、下村加茂神社で行われる全国唯一の「魚読み」の正月神事などが残されている。また、海のない長野県でもブリにまつわる多くの風俗・風習が一般家庭で根強く残っている。「年取り魚」という奇習はオイベスサマ(えびす様)にブリの尾を一年間も供えたままにしておくというもので、これほどの奇習は他に例がない。

 何故、他の土地以上に長野県に、古い風習が今なお生き続けているのか。

 かつて、越中で獲れたブリは塩ブリにされ、四匹入りの竹籠を一行李、十六匹で一荷とされ、雪深い飛騨街道をボッカや稼牛によって高山へ運ばれた。高山の問屋を経たブリは「飛騨ブリ」と名を変え、さらに野麦峠を越えて信州に渡る。越中ブリがいつ頃から信州にまで行くようになったのかは不明だが、信州のブリ(年取り魚)習俗起源が十六世紀とも十七世紀とも言われていることを考えると、かなり古い時代からのことだったのだろう。北アルプスを人力で越えたブリは、信州では当然超高級魚となり、大正時代で一匹が米四十キロ分以上もしたという。おいそれと買えるものでもなく、それだからこそ奇習として残り続けた面もあるだろうけど・・・。

 そして、歴史の中で雪深い年暮れの野麦峠を越えた越中がもう一つある。越中ブリが飛騨から信州に向かったのとは逆に、信州から飛騨に向かって峠を越えたのが、越中の娘達。明治時代、富山から多くの娘達が信州へ糸引きに行き、正月の里帰りにこの峠を越えたのだった。きっと、娘達は故郷のブリとすれ違っていたに違いない。

 夜。吹雪。荒れ狂う海の音。私には何も見えない。今ごろは野麦も吹雪いているだろう。

そしてもう一度、私はブリ起こしを待った。

 

   

投稿者 ほたるいかの水井 : 2006年5月1日 13:20