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砂上の漁火

   深夜、そっと宿を抜け出したのは12時を回っていたと思う。寝付かれなかったせいもあるが、無性に夜の浜を歩いてみたくなったのだ。
 暗い松林を抜けて浜に出ると、静寂の海の遠くに漁火がいくつか浮かんでいた。当然、浜には誰もいないものとばかり思っていたのだが・・・
 いったい誰が、真夜中の浜のあんな光景を想像できただろう。綺麗な弓状を描いて湾曲する砂浜に沿って、ほぼ等間隔の距離を置いて小さな焚き火が蜿蜒と続いていた。何百メートルも先まで、いや、一キロ以上も続いていたのかもしれない。そして、それぞれの焚き火の周囲には数人の人影が、シルエットになって浮かんでいた。近づいてみると、家族連れといった一団もあれば、若者同士のグループもあり、中には酒を飲んでいる人達もいた。
 私は思ったものだ。これは古くからこの土地に伝わる「火祭り」か何かの宗教的行事に違いないと。初めての者なら誰だってそう思い込んだのではないだろうか。
 何をしているのか、声を掛けてみた。
「待ってるの」
と十歳くらいの少女が応えてくれた。
「えっ!?」
「あのね、身投げを待ってるの」
少女の声は、実にあっけらかんとしたものであり、しかも楽しみでしょうがないといったそれだった。
 さて、この話の種を明かしてしまおう。当時の私は、「身投げ」とは産卵のため沖から浮遊してくるほたるいかが、波打ち際まで打ち上げられる現象であることを、全く知らなかったのだ。そして、私が「火祭り」だとばかり思った真夜中の焚き火群は、砂浜でほたるいかを待つ人々が、暖をとるためのものだった。
 私が五月か六月に必ず富山へ旅するようになったのは、ほたるいかを知る以前に、「浜の漁火」ともいえるこの焚き火群に魅せられたからだった。何故か、この風物詩は観光案内にも紹介されていない。
 

   

投稿者 ほたるいかの水井 : 2006年5月1日 12:56

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